「なぜ生きるのかを知るために、人は生きる」

なぜ生きるのかを知るために、人は生きる。なぜ山に登るのかを知るために、山屋は登る。」

読まずに部屋に置いてあった唯川恵 氏の著作である「淳子のてっぺん」を読んだ。

女子登山家で、1975年に女性で世界初の世界最高峰エベレスト8848mの登頂に成功した田部井淳子氏の幼少期からエベレスト登頂までを記した作品である。

 

冒頭の言葉は、ラストのエピローグで淳子さんの夫である田部井正之氏の言葉だ。

うつ病で休職三週間目になると時間ばかりあってしょうがない。

「なぜ生きるのか」ということを考えることもある。

(そういった答えの出ないことをうつの時に考えるのはあまりよくないらしいが、、)

 

休職中の今は気力が湧いてこず登ろうとすら考えなかったが、山に登るのは好きだ。

社会人2年目に友人たちと、富山県新潟県の間にある雨飾山に登ったときからハマり低山ではあるが年に2,3回は登っている。

昔はもっぱら外にでるよりゲームや漫画のほうが大好きで、気持ちが悪い虫とかもいる山に登るのは全く理解ができなかった。

 

社会人になってからなんで人は山に登るのかを感じることができるようになった。

登りはじめで心拍数があがり血が身体をめぐっているのを感じ、登り始めたらしんどくても頂上の景色をみるまで降りることができない。

なんでこんな辛い思いを勝手にしているのだろうということを考えているうちに、登り切った景色を見るとバーチャルの世界でなしに自分の足でもここまで来ることができるんだという実感を感じることができるのだ。

 

人生は山と違って頂点がわからないが、山と同じように終点があることは決まっている。

なんで生きているんだろうって考えている今も、私たちは人生を登っているのだ。

今日みた映画「FightClub」にもあった「死ぬ前に何がやりたい?」というように、人生を降りるまでに自分の定める頂点に届くかどうか、チェックポイントを残さず回れるか。

 

山に登るときは心臓が脈打つ音が耳にまで聞こえ、血が流れ体温が上がり汗が噴き出すことで、平日会社で流れる時間とは反対に「生きている」と実感するのだ。

今はまさしく「死んでいる」といってもいい。

部屋の中で時間だけが過ぎていく苦痛にも麻痺してきたように感じる。

生きていく苦痛を感じること無しに、人は生きていると実感することはできないのかもしれない。